月が見え隠れする夜、猫の鳴き声が不吉な響きを持って真里の耳に届いた。

 肩の包帯を解き最終的にたどり着いたのは、赤い一筋の線が痛々しく刻まれている死人のような血の気を失った右肩の肌だ。

 真里は赤い一筋の線を鏡で鋭く睨み付ける。  

「沖田総司――」

 殺したい程憎憎しい相手の名を、唸るように呟く。

 消毒液に浸した布を肩に当てると、真里の愛らしい唇から息を押し殺した苦痛の呟きが出た。

その布を包帯で固定し、着物を着なおす。

 何でもない表情を意識して創ると、背伸びして欠伸を一つ小さくする。さて、布団に入ろうか? という時だった。

 激しく門を叩く人間が現れ、兄の名を呼んでいる。

 熟睡最中の次乃十は、寝ぼけているようで最初は相手の話と噛み合っていなかった。

だが、次第に事の重大性が判明していき脳が仕事脳へ変換したらしい。

「そりゃ、大変だ。今、準備して急いで行きます」

 次乃十が慌てる声が聞こえる。

 階段を登り真里の部屋へ向かって来る足音がし、真里は布団の中に入る。

「真里さん、寝ていますか?」

 何のためらいもなく、妹の部屋の戸を開けて言う。

「兄よ。夜に妹の睡眠を妨げるとは、よい趣味ですわね」

 真里は皮肉に咎める。

「急患が入りました」

「いってらっしゃい。私は寝てます」

「最近、真里さんが冷たぁーい」

 情け無い声を上げる次乃十に、真里は布団ごとゆさぶられる。

  「やめてください、うっとうしい」

「じゃ、一緒に来てくれます?」

「兄、貴方は幾つですか? 情け無い声を出すのはよしてください」

 布団から起き上がり、眠たい目をこすりながら次乃十に聞く。

「急患はどこの誰ですの?」  

 次乃十は満面の笑みを浮かべて答えた。

「新鮮組の屯所です」

「嫌です!」

 その言葉に直ぐに拒否をする。

 即答すぎて、不自然だったか? と思った。だから、新撰組に対する一般評価を付け加える。

「鬼の巣窟と京の市民から囁かれている所に、か弱き乙女な私が行くなんて心臓が幾つあっても足りませぬ」

「真里さんが一般市民の噂を間に受けているとは思わなかったな。いつも兄が言ってますよね? 

人を差別しない。人の噂を間に受けない。全ては自分の目で見ることって」

 どうやら、真里の反応を不自然と思われていないらしい。

 重症人は新撰組の屯所にいると言った。たぶん……、いや、間違いなく。沖田総司だろう。

 真里は、一瞬考えをめぐらした。

 危険だが、敵の本拠地に潜り込み隙を突く好機だと――

 もしかすると、親玉の首を狩る絶好の機会かもしれない。

 考えを改め、真里は嫌々ながら「しょうがないわね」と呟いて、次乃十に行くと答えたのだった。  

「ありがとう! 真里さん」

 子供のように跳び跳ねて喜ぶ次乃十。

 それを横目で見て真里は考えを巡らせていた。

 もし、患者が急変し目の前で死を迎えたら、この男は絶望という深い闇の底なし沼に沈むだろうか?

 この男を悲しませることはしたくないが、こちらも命がかかっているし、この男を守るためなのだ。

この男が無事に追われることのない生活をさせるためにも、暗黒の世界の掟は守らないといけない。







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