森に囲まれて、他の土地を行き来することに不自由な小さな村に、1日2本のバスが通っている。

そのうちの昼間の最終便のバスから降りたコーディアス神父は、懐から煙草の箱を取り出した。

 歩きながら、旅行用鞄を持っていない右手を器用に使って、箱から一本取り出し口にくわえる。

そして、箱をしまったついでにマッチ箱を取り出すのだ。

 それから、魔術師のような手つきでマッチを一本取り出して火をつけると、その火を煙草へとうつす。

「ふ〜、落ち着く」

 煙草をふかしながら歩き続ける。

「寂れた村だな、村の中心部でも人が出歩かないとは」

 独り言を言いつつ、目的地である場所へと迷いもなく辿りついた。

 木造建ての建物が、あちらこちら腐食し痛みが激しいところを見ると、築50年以上は経っていそうだ。

消え入りそうな文字で書かれたボロボロの看板には“定食屋 コッド”と書かれてあった。

 留具が壊れかけているのか、ドアは変に傾いていて、ぴたりっと閉まっていないドアを開ける。

「これ、冬場は大変だろうな…」



 ギギギギギィッ――――



 不気味な音がして、背筋が伸びる。

 陰湿な音がした建物の中も陰湿が空気を淀ませていた。

 いらっしゃいの声さえも聞こえず、席案内する給仕も女給も見当たらない。

 まぁ、小さな村はこういうものかもしれない。そう思いながら、ずかずかと店の中を進み適当な場所を陣取った。  

「灰皿ないのか?」

 見当たらないが、どこかにいるであろう店の人間に聞こえるように言ってみる。

「ほらよ」

 大柄な男がやってきて、灰皿を乱暴に置くと、コーディアスをギロリっと観察するように見る。

「どーも、アンタがここの主人か?」

「教皇庁は多忙か?それとも、こんな神父しかいないのかの?」

「悪かったな、こんなので」  

 最後の煙草をふーっと深く吸い込んで煙を吐き出し、渡された灰皿に煙草を押し付けるように火を消す。

「あんたが依頼主か?村長って聞いたけど?」

「いかにも、ワシが村長だ」

「山賊のような外見で? ひ弱な大人しげな神父なら、逃げて帰る外見だぜ。俺みたいな不良神父でよかったな」

 密やかな笑い声が沸いた。

 笑ったら村長に悪いと思って我慢している客が、

笑いを我慢しているがしきれないような、そんな空気が当たりを包み込む。

「座れよ、話は聞いている。吸血鬼事件だっけ? 

被害者の死体の説明は聞いたが、あれは本当にそういう不可解な類の事件かな?」

 この村に来る前に、全部の被害者の写真は見せられた。

 どれも、残虐な殺され方だったらしい。

刃物によって腹を切り裂かれ、そこから取り出された内臓を、あたりにばら撒いている。

 それだけでも印象的だが、被害者全員の首筋には、吸血痕がクッキリと浮かびあがっているのだ。

「そうだな、おそらく化け物は血を啜った後、腹を切り裂いて内臓を食らっておるのではないかの?」

「果たして、そうか?俺は、そう思わない」

「何故?化け物が血を啜った痕もあるだろうに」

 コーディアスは、懐から煙草の箱を取り出して数回テーブルの上に叩いた。

 叩いた振動で、煙草数本が箱の取り出し口から出てくると、一本をつまんで口にくわえた。

「そーだなー」

 コーディアスが、考えを言おうとしたときだった。

壊れかけた店の出入り口のドアを壊すような音が、室内を響き渡ったのは。

「大変です!被害者がまた出ました!」

 新しい被害者が出たと、村長に報告に駆けつけた細身の男は息を切らして言った。

「何だと!」

 村長は、憤慨し顔を真っ赤にさせて立ち上がる。  

「被害者はどこだ?丁度いい、俺の考えていたことを確証しよう」

 煙草に火をつけながら、椅子から悠々と立つと、煙を吐いた。

 被害者には悪いが、丁度よいタイミングだ。

コーディアスは、三日月形に口元を歪ませると報告人と村長を連れて現場へと向かった。



 十九世後半、科学が発展してくる時代、もはや怪奇な物事は怪奇ではなくなった。

「今まで、原因不明の病気が悪魔が憑いている、と言われ続けてきたが、今日では神父が出る幕もない。

同じく、怪物の仕業と見せかけて、実は人間の仕業でした。なーんて、よくある出来事だ」

 被害者は森にゴミのように捨てられていた。

 コーディアスは、その被害者を覗き込むと、鞄から皮手袋を取り出し、手にはめると遺体を触りだした。   

「おい、何するのだ?」

「こういう奇怪な事件を調査する神父は、人間の仕業であると疑う必要も出てくるのですよ。

宗教だって馬鹿じゃないからな、何でも悪魔だって早合点はしない」

「だが、村人はそんな残虐なことを起こす人々ではない。

ワシは全ての人々をよく知っておるが、誰一人としていないぞ!」

「ふーん? まぁ、人間隠している内面があるからな。

村長が知らない内面の一部が、暴走してこんな事件を起こすということもありえる」

「なっなんだと」  

 顔を真っ赤にして、今にも怒鳴り散らしそうな大男を無視して、呆然と立っている若い男に声に声をかけた。

「君、第一発見者?」

「は、はい!ハンスと申します」  

 声をかけたら、挙動不審のように瞳が揺れる若い男ハンスは、背筋をさらに伸ばした。

「ミスター・ハンス、今日は何をしていた?」

「え、えっと、僕は薬師で、今日一日は店にいました。

そ、それから、この夕方は薬草を取りに、に、日課ですから」

「ふぅーん?日課ね。で、この遺体を見つけた」

「え、えぇ、最初は獣にやられたかと思いました。

肉食獣にやられて食い散らかしたようでしたら、でも、もしや、と思ってよくみたら、首筋が―」  

 最初はおずおずと自分の意見を言っていたが、次第に熱意がこめていた。

「確かにね、一見すると肉食獣にやられた様子だが、傷をよく見れば、

獣の牙や爪で裂かれたのではないようだな。こりゃ、人間の仕業だ。」

「神父殿は、どういうお考えで、人間の仕業だとお考えでいらっしゃりますか?」

「ミスター・ハンス、地面に広がる血を観察して、医学的観点から意見を言ってくれないか?

 君は、医学も少しかじっているように見受けられるから、多少はよい考えを言えるはずだ」

「はい」  

 ハンスは地面を観察して、目を見開いた。

「あ、そ、そんな。この方は、血のほとんどが、腹部から出ていらっしゃいます。

吸血鬼事件ということで、血を吸われてから、腹部を切り裂いて内臓を食らっていたかと考えられていましたが、

それは違いますね。何か、ナイフのようなもので切り裂いて、内臓を食らってから、血を吸ったと思います。」  

 コーディアスは、その意見を聞いてニヤリっと笑った。

「そう、最初から決め付けなければ、真実にたどり着く。地面の血は、腹部の周辺に広がっている。

一方、首筋を見ると、多少血が出ているものの、死に至らしめる程出ているわけではない」

「だが、吸血鬼という化け物は、血を吸うのだろう? 血をほとんど吸ったから、出ていないのではないかの?」

「おいおい、なら、切り裂かれた腹部からの大量の血だって出ないぜ?」

「ふ、ふむ」

「だから、答えは簡単だ。今までの被害者は、腹部殺傷、そして何らかの理由で腹部を切り裂かれた。

吸血鬼という化け物のせいにするため、首筋に吸血痕をつけた。

そう、それが真実である。ようは、吸血鬼偽造殺人事件だな」

一息いれるため、煙草の箱を取りして一本指に挟める。

「さて、今日の宿はどこかな?日も遅いし、犯人は明日捜そう」

「ま、待ってくれ。そしたら、また明日被害がでるのでは?」  

 煙草をくわえて、火をつけて吸って煙を吐き出た後、煙草を軽くふってコーディアスは答えた。

「ほぉー、村長さんはようやっと犯人は人間であると思えたか?

ぁ、人間なら、俺が来た時点で、犯行を控えるのではないかな?

さて、今夜の宿はどこかな?今夜は冷えそうだから、一杯酒をやりたいのだがな〜。」

「ワシの定食屋2階が宿だ。神父の癖に、酒やるのか?」

「せっかく外に出ているのだから、酒が飲みたくなる」  

 コーディアスと村長の会話に、自信なさげに、ハンスが思ったことを述べた。

「あ、あの…、もし、吸血鬼ならばどうするのですか?

まだ、その可能性も少しはございますよね?夜に村人が襲われたりしたら―」  

 コーディアスは、三日月型に口を歪めてハンスをちらりっと見た。

「本物の吸血鬼は、そんな餌の食い方はしねーよ。やつらは、芸術家だ。」

 聞こえるか、聞こえないか、ぼそっと答える。

 まるで、吸血鬼に会った言い草に、ハンスはこの神父がある意味奇妙に思えた。





 明かりがなくとも、夜道を歩ける明るさ。そう、今日は満月の晩だ。

 コーディアスはタバコを地面に捨てて、足で踏みつけると、半壊状態の教会の一本道を進む。

「話では、お祈りくらいはすると言うが、この半壊状態は罰当たりだ。小さな村では、しょうがなが、直してほしいくらいだ」  

 外見や行動、考え方は、問題があると自身でも思っているが、信仰心は人より何倍もある。



ガガガガガガガガァ――



 腐った木の扉を開けると、扉が地面を引きずっているため、正常の扉より重かった。

教会の内部は、屋根が所々穴が開いているため、そこから月の光が差して明るい。

 教会の奥に進み出て、祭壇に飾ってある十字架の裏側を探ると、その地面に隠し扉がある。

「やはり、そういうことか」  

 扉は簡単に開き、地下へとコーディアスを誘った。

「小さい村、教会は壊れ放題、あまり村人には信仰心がなさそうだ。でも、怪奇な事件が起こると絶対に―」  

 たどり着いたのは、蝋燭で照らされた一室だった。

 小さな祭壇に、黒い十字架が飾ってある。

「黒い十字架」

「あれれれ?もう、ここがわかってしまいましたか?神父様!」  

 気配と同時に、真横に飛んだが遅かった。 

 コーディアスの横腹に激痛が走り、呻いた。

「ミスター・ハンス!やっぱり、貴様だったな。いい芝居だったけど、所詮3流だよ」  

 先ほどコーディアスが立っていた位置に、ハンスが片手に刃物を持って立っている。その刃物は、赤く染まって輝いている。

「いつから気がつきましたか?」

「最初からだ。俺はな、鼻が利くんだよ。お前は、定食屋に知らせに来たな?そのとき、凄い血の匂いがした」

「それでは、証拠になりませんが?」

「後は、いかにも気弱そうな演技をしたじゃないか?

でも、反対に死体を観察するのが冷静で、的確だ。

しかも、多少医術を知っているというような薬師様は、死体検分が上手すぎる」

   沈黙が周囲を包んだ。

「お前は、俺が言っていない俺さえ知らないことを、話してしまったんだよ」  

 ハンスは目をぱちくりして、首を傾げる。

「何をです?」

「凶器のことさ。俺はお前に地面に広がる血から意見を求めたが、

こから話が発展し、ナイフのような物で腹部を切り裂いた、と言ってしまったのだよ。

俺がわかったのは、獣の牙や爪じゃなく、刃物で切り裂いた傷まで、

ナイフで切り裂いたものとは思ってなかったのだが」

「ふはははははっ、神父様は探偵になれますね。今、イギリスで人気の探偵小説のような推理です」

「は、推理小説なんざ苦手でな。そのように例えられ褒められても、嬉しくなんてねーよ」

 どうにか隙を伺う。

「観念してください。まったく、キリスト教は偽善で横暴で押し付けがましくて、

本当に腹立ちますよね?他人が信仰している宗教が違うと、恐怖を与える」  

 ハンスが勢いよく刃物を振り回す。

「恐喝まがいで、下品だ」  

 ハンスの刃物を何回も避ける。

 だが、先ほど刺された所から、大量の血が流れたのか貧血めいた症状が感じられ、足元が安定しない。

「くそっ」

「ふはははははっ、私の邪魔しないでくださいよ。

十字を信仰すれば、闇は怖くない。闇の女神は微笑んでくださる」

「だからって、殺人する道理にならない」



 ドガァッ



 背中に鈍い音がした。背が壁に密着してもう後ろに逃げられない。

「覚悟してくださいね」  

 刃物を大きく振り下ろす動作が、スローモーションのように見えた。 

 上斜めから喉に切りかかる刃物は、室内の光を反射して目が痛い。

あ、と思うと同時に、赤い飛沫が目の前を覆った。

 指が一本も動かせられない、どうなっているか確かめようもない程意識は遠のく中で、悪魔の笑い声が聞こえる。

「神父様、恨むならば己の神を恨んでくださいね」  

 目の前が赤い。

 赤い池で成り立っている。

 コーディアスは、自分の血の池に伏している。

 死ぬのか?と思ったが、どうも死というものを、実感できないでいる。

「さて、内臓をいただきます」  

 ハンスがコーディアスを仰向けしようと手を差し伸べたときだった。

「グガァ」  

 コーディアスの体が激しく痙攣し続けたと思うと、痙攣の強い反動で体が仰け反った。

「な、なんだ?」

「ギィィィァァァァググギャァ」  

 骨が折れるのではないか? と思える程のけぞり。

上に精一杯向けた顔がぱっくり割れるように開いた口から漏れる悲鳴は、この世とも思えない人間の叫び声。

「ゲゴハフっ、げほげほっ」

「な、な、なん、何ですか?確かに殺したのに」  

 コーディアスの眼球は、呆然とへたり込むハンスを捕らえた。

「あー、苦しかった。そんなに言うならば、黒十字信仰の果てを見せてやろう。

人間が、人間を終わらせられた果てを―」  

 ゆらりっと立ち上がったコーディアスを、ハンスは芯底震え上がった。

この世の恐怖とは、このことであろう。

「お前がやっていることは、周囲が迷惑しているんだよ。

それぐらい、人間のルールの基本として考えられないお前は、生きる資格なんてない。

お前が、生贄でも何でもなってろ」

   生きる屍はそう言って、道を外したアンチキリストを断罪した。

 背筋が凍てつき、動けなくなっている彼を。

 恐怖で戦闘意欲が失われ、武器が手から離れたときに―

 一瞬手を伸ばしたときは、生きる屍は処刑人の心臓を持っていた。

「まだ、人間のうちに死ねるお前が、羨ましい」

 静かに、コーディアスは自分の首筋をなぞる。

 その首筋には、先ほど刺された刃物の傷はない。

 ただただ、二点の小さな丸い傷跡があるのみだった。





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