ぱらっと一枚紙を捲ると、白い世界が広がる。

 僕は、その真っ白い世界に黒いシミを一滴たらすと、スラスラと僕の内情的な世界をその白い世界へと投影させた。

「ありふれた言葉! 若い人が自ら命を絶つと頻繁に言われる言葉、

生きたくとも、生きられない人がたくさんいるのに。くそったれだ! 

死にたくとも、死ねない人が大勢いるのにね。どちらかが正しいと決め付けるなら、

世の中は負の感情よりも生の感情を必ず選び、それが正義であると決め付ける。

嗤ってしまう話だ。世の中、負の事柄ばかり曲がり通るじゃないか! 

人間は、利己的で我侭で下品で、己の欲ばかりで生きているモノが多いのに―そんな負が正義とされている社会であるのに……。

そういう時ばかり、綺麗事を言う! そんな、ありふれた言葉が一番嫌いだ」

 書き終えると、何回も何回も呪文を唱えるように繰り返し言葉にして、そして天井を睨みつけてノートを閉じる。

 あぁ、本当に世の中は、なんて偽善者のありふれた言葉に満ちているのだろう!





 テストも終え、クラスメイトはこれから迎える夏休みに心は浮いていた。

「俺さ、夏休みは恋人と海に行くんだぜ」

「いいな〜、俺も夏休み青春してー」

「っていうかさ、ナンパしちゃえば?」

「ぎゃはは、お前がナンパなんてつかまらねーよ」

 浮きすぎて、下品な話をしだしたクラスメイトに、僕は眉を潜めてただ聞き手に回るだけだ。

はっきり言おう、僕はコイツらと好きで一緒にいるわけではなく、ただ利益のためにいるのだ。

 一人でいるよりは、誰かの影になっているほうが目立たない。

それに、学校の情報が得やすい上に、体育の授業等二人一組で何かをしないといけない時、

相方が得やすいというメリットがあるため。

「なぁ、手っ取り早く彼女作れる方法知らないか?」

 下世話な話題を僕に振るな、知るわけがない……。あ! ちょっと待てよ。

 急に思い出して、僕は考えるポーズから手を打つポーズになった。

「肝試しはどう?男女カップルで、肝試しをやるんだ。

そうすることで、暗闇の中男女二人きりになることと恐怖という二つの材料により、吊り橋効果が期待できる」

「吊り橋効果って何だよ?」

「有名な心理学実験さ、独身男性を集め、渓谷に架かる揺れる吊り橋と揺れいない橋の2箇所で行われた実験なんだ。

男性にはそれぞれ橋を渡ってもらい、橋の中央で若い女性が突然アンケートを求め話しかける。

その際「結果などに関心があるなら後日電話下さい」と電話番号を教えるという内容の実験を行った。

結果は、吊り橋の男性からはほとんど電話があったのに対し、揺れない橋の方からはわずか1割くらいあったんだって。

ようはね、揺れる橋での緊張感を共有した事が恋愛感情に発展する場合があるという事になるんだね」

 シーンと静まり返るクラスメイト。その表情は、お前の話はさっぱりわからない、と書いてある。

 僕は、これでもか! という程、優しいレベルにして解説してやる。

「だからさ、その実験を例に挙げて言いたいことは、男女二人だけのときに緊張感を共有すると、

恋愛感情に発展する場合があるらしいんだって」

「あー、成る程な」

「じゃ、夏だし肝試しが一番か〜」

 僕の話をやっと理解できたクラスメイトは、話が大いに盛り上がり、いつの間にか肝試しの計画を立てている。

 そんな彼らを眺めて、僕は内心嗤った。

 彼らは知らずに盛り上がっている―吊り橋効果によって恋愛が発展した多くの場合、長く続かないのが通例だと。

極限状態、または一時的な緊張状態による興奮が理由での恋愛では、継続的な恋愛には発展していかないという結論があるのだ。





 暑苦しい部屋にウザイクラスメイト、そんな教室は拷問部屋。

一方、風がそよそよと吹き、誰もいない屋上は天国だから好きな場所だ。

「凄いメンドクサイ、確かに僕が提案した。

だが、話を振られたから提案しただけで、どうして僕も肝試し参加の一員にされないといけないのだ? 

それも、女子誘わないといけないし」

 屋上に上がる階段を、僕はぶつぶつ文句を言いながら上って行く。

 僕の学校の屋上では、誰も来ないことで有名である。

それは、屋上に魅入られし者は、屋上から出られなくなるだの、屋上は昔自殺した幽霊が出て、

仲間欲しさに屋上から突き落とされる等、学校の怪談レベルの話が飛び交われているからだ。

 屋上のドアを開ける、涼しい風がどっと僕の方へ流れ込んでくる。

 青い空、清々しい風、暑いけど夏を象徴するかのような気温。

そして、柵の向こう側にいて下を見ている少女が―って、何やっているのだ? 

僕の他にも屋上に来る奴がいたとは、しかも屋上の使い方を間違えた奴が来るとは…。

「おい、そこの女子何やっているんだ?」

 学校の制服を、学校の指定通りに着こなしている少女が振り向いた。

「あら、危ないぞ! までは言わないのね。賢明なことね」

 振り向いた少女は、今時の女子高校生にしては純潔派な感じ。

黒髪のストレートが似合う、黒曜石のような瞳がぱっちり開いた、文学少女というイメージがぴったりな少女だ。

「まぁ、そこにいるのは危ないと思うけど、僕がどうこう言う問題でもないしね」

「貴方、外見がチャラチャラしているわりには、しっかりと自を持っていて賢いのね」

「褒め言葉として取っておこう」

 外見が軽いけど、思っていることや考えていることが難しいってよく言われる。

好きで、チャラ男になっているわけではない。演技をしているだけ。だって、そうしないとクラスの中に浮くでしょ?

「貴方なら、私が飛び降りても平気な顔しそうね」

 今出会ったばかりの他人に、話しかける話題ではない。

だが僕は、このつまらない学校の人間が発する話題に芯底飽きているので、

彼女の話題が斬新で新鮮なような気がした。

「そうでもないかな?

僕がこの場にいたということで、自殺より他殺という疑いが強くのしかかるから、飛び降りられたら困る」

「あら、そうかしら?」

 予想外の返答だったらしく、彼女は目を大きく見開き僕をじっと見る。

「人間なんてそんなものでしょう?

真実がどうであれ、自分達が面白いと思っている方へと、勝手に話を作り広めるんだ。

そんな習性を、人間は持っているのさ」

「確かに…そうね。ありもしない話を面白がる。

都市伝説、怖い話、人の噂話、そして怪談。この屋上の怪談もその一つ。

でも、その怪談は感謝しないとね。だって、こんな良い所、独り占めできるのですもの。

あ、貴方も使っているから、独り占めって言わないわね」

「確かに」

「貴方って、考え方面白いわね。今時の高校生で、そのような考え方の子がいるなんて思わなかったわ」

 そう言うと、彼女はフェンスを軽々と登って、こちら側へとやってきた。

 フェンスのてっぺんから、ふわりっと降りてきた。

まるで、彼女に羽がついているみたいで、僕は瞬きをして何度も見直した程だ。

 彼女の顔が僕の顔に、紙一枚の距離で迫ってきた。

「ねぇ、知っている? フェンスって、生と死の境界線の役割をしているのよ」

 艶めかしく赤い唇で、背徳の話題を「明日の天気は晴れらしいわよ」というような、軽さで言うのだ。

 僕は、そんな彼女にドキドキしながら、彼女の内面的世界に魅了され導かれて行く。禁断の果実を探すように―

「では、君は死のテリトリーから帰ってきたのかな?」

「そう。でもね、私はまだ死の領域に完全にいる資格はないの」

「死なないと?」

「そうではないわ、普通に死ぬぐらいじゃ駄目よ」

「どういうこと?」

 彼女の世界はかなり複雑で、僕自身の世界も複雑だと自負していたが、それよりも上を行っている。

 彼女は困っている僕を見て、くすくす笑う。それから、僕から遠ざかり、屋上の入り口に移動した。

ひらりと回って、僕の方をちらり見る。

「明日に会えれば、話の続きをしましょう」

 不確かな約束を言って、屋上から華麗に去っていく。

 僕はというと、彼女に見とれていた。

 彼女のような、完璧なる独特な人はそういないだろう、と思うと、明日会うのが楽しみでたまらなかった。





 その日から、屋上に行けば彼女に会うことができた。

 彼女は、蔦森 ゆりら、と名乗った。学年とクラスは?

 という僕の質問には、はぐらかされてしまった。

 蔦森さんとの会話は、特に生と死、人間について、哲学や芸術、そして文学についてだ。

何故そのような会話内容かというと、蔦森さん曰く「私は死にたがり病なのよ」

―思うには、蔦森さんは生に執着しない類なのだろう。

その執着の無さが、生と死について様々な疑問が湧き出てくるのかもしれない。

「なぁ、本田。…おい、本田! お前、目開けて寝ているのか?」

「へっ?あぁ、ごめん。何?」

 僕らしくもなく、名前を呼ばれても気づかない程、一人の人間の事を熱心に考えていた。

「お前、最近様子変だけど、どうした? もしかして、好きな子できたとか?」

 クラスメイトの一人が、面白い玩具を見つけた子供のような顔をしている。

きっと、僕を弄れる話題を見つけたと思っているらしい。

「別に、お前が彼女欲しいからって、他人が同じ考えだと思うなよ」

「なーんだよ、お前だって肝試しするんだろう?」

「彼女が欲しいから、肝試しするんじゃないよ。ところで、場所は決まったのかい?」

「あぁ、場所な。琴鳴町の外れの森にある廃屋さ」

「あの廃屋?研究所みたいな、建物の?」

「そうそう、結構ムードあるだろ? ということで、お前女の子誘って来いよ」

 クラスメイトはヘラヘラ笑いながら、手を振って僕から離れて違う奴の所に話に行った。

 女の子誘えって、そんなに僕は親しい女の子はいない…。

あ、いるではないか!蔦森さんなら、こういう類が好きそうだ。





「あら、琴鳴町の廃屋? 面白そうな所で、肝試しするのね」

 屋上に行けば、当たり前のように蔦森さんはいた。

肝試しの話をすると、目を輝かせて興味深そうに話を聞いてくれた。

「肝試し好き?」

「別段、好きなわけではないわ。ただ、場所が興味深かったのよ」

 蔦森さんの長い髪は風に吹かれ、青空の中にある太陽の光でキラキラ光っている。

僕は、それがどんな宝石よりも綺麗だと感じた。

 くるりっと振り向いて僕の方を見るや、満足そうな表情だった。

「知っている? あの廃屋の噂」

「僕が知っている噂は、あの廃屋は研究所で人体実験していたって話し」

「その実験の内容は知っているかしら?」

「そこまでは―」

「そう、意外と面白い噂があるのよ。あそこで研究していたのはね、幽霊になれる薬を発明していたのですって」

「幽霊になれる薬?」 

今更だが、彼女が言い出す非現実的な内容に、僕は目をぱちくりした。

幽霊になれる薬なんて、今まで彼女が話題にしたもののどれよりも、非現実的である。

「そうよ、この地域の死にたがりの人間達にとっては、とてもとても有名な話なの」

「そうなんだ。もし、その薬手に入れたら何したい?」

「そうね」

 蔦森さんは暫く考えて、それから満面の笑みでこう答える。

「憎き相手を七代先まで、呪ってやりたいわ」

「あぁ、そうなんだ?案外、ありきたりだね」

「でも、幽霊のお決まりの台詞でしょう? 

この台詞好きよ。幽霊って意外と粘り強いんだって思えて、とても可笑しく思っちゃうの」

「成る程、そのような視点で考えると、意外と面白いね」

「でしょう! 肝試し、行くわ」

「え、本当?」

「幽霊になれる薬があるのか、実際に行ってみて確かめてみたいわ。いつ?」

「来週の金曜日の夜八時、集合場所は琴鳴町の琴鳴公園だよ」

「とても、面白いことが起こりそうね」

 蔦森さんは、あらぬ期待を抱いているようだ。

だが、面倒な事が嫌いな僕としては、何事も起こらないで無事に終えて欲しい。





 夏休みを向かえ、蒸し暑い日をいくらが過ごせば、ついにその日がやってきた。

 クラスメイトなら待ちに待った! と大はしゃぎだろうが、面倒くさがり屋の僕は面倒だな……、と思うばかりである。

唯一の救いは、蔦森さんが来ることだ。

 最近の僕はというと、常に彼女のことを考えている。

別に、恋愛感情を寄せているわけではない。でも、好意を持っていることは確かだ。

それは、彼女が普通の高校生とは一風違う思考の持ち主だからである。

 空は血のように赤く染まり、次第に紺色と溶け合って暗くなっていく。

空の変化と共に、気温も変化し、次第に涼やかになっていく。

 自転車を走らせている僕の前に、琴鳴公園が見えてきた。

琴鳴公園は、森と繋がっており、森林浴目的に作られた公園で、この公園から続く小道に例の廃墟があるのだ。

「おーい」

 先に到着しているクラスメイトの一人が、僕に気が付いて手を振っている。

「こっちこっち」

 僕は駐輪所に自転車を止めて、クラスメイト達が固まっている所へ行く。

「準備は終わったのか?」

「バッチリ。ところで、お前誘った女子って誰?」

 説明が面倒なので、僕は「会ってからのお楽しみ」と言う台詞で誤魔化した。

 刻々と集合時間が近づくにつれ、参加者は集まった。あとは、蔦森さんだけになる。

「あれ? お前が誘った女子来ないじゃん。もしかして、フラれた―」

「まだ時間になっていないって」

 あと一分、集合時間が一刻一刻迫ってくる。

それと平行して、次第に僕の心も焦り、実は彼女は来ないのではないか、と思うようになってくる。

 僕の時計の針が、集合時間の八時を刻む。

その瞬間、冷たい風がスーッと僕の横を通り抜けた。その風を無意識に追って目線を移動すれば、

蔦森さんが突然闇から湧き出てきたかのようにいた。

「こんばんは、遅れてきてしまったかしら?」

 蔦森さんの登場に、皆はどよめいた。この場にいる全員が、不自然に現れた彼女に視線を集中させた。

そして、男共は彼女が美人だの、美しいだのと小声で言い合っている。

「おい、本田! 何、この美人。ちょっと古風な感じがいいんじゃない? お前の好みは、純情派だったとは!」

「馬鹿、友達だよ。それより、早く肝試しした方がいいんじゃない?

暗くなりすぎて、警察の巡回パトロールに目つけられて補導されるのは嫌だ」

 これ以上、蔦森さんを汚らわしい目で見られるのはごめんなので、あくまでさり気無くだが、わざと話題を変える。

「そうだよな、さっそく始めるとしますか。皆、よく聞いてくれ」

 クラスメイトが、肝試しのルールを話し始めたとき、僕は何気なさを装いながら蔦森さんへ近寄った。

「ギリギリの到着だったね」

「調べていたのよ」

「もしかして、本当に薬があるって思っているのかい?」

「えぇ、一昔前は通信販売をしていた話を聞いたわ」

「うわ、誰が買うんだろう……」

「決まっているでしょう?」

 彼女は意味ありげに笑う。その笑い方が、今の暗闇の雰囲気とマッチしているような笑い方で、

少し不気味なオーラが出ていた。本当に、背筋がぞくっとするような雰囲気だったのだ。

「くじでパートナーを決めるから、名前呼ばれたらこっちに来てな」

 くじ引きで肝試しに行く相方を決めるのだ。だが、そのくじには仕掛けがあり、最初から決まっているも同然だった。

「あら、貴方と一緒に行けるのね」

「奇遇だね、一緒になるなんて」

 そのことを、女子は当然ながらまったく知らない。

「それでは、スタートをジャンケンで決めたいと思うから、各チーム誰か出てきて」

 僕がジャンケンしに行く。そしたら、僕らは一番後の順番になってしまった。

 前の組が帰ってくると、次の組が行く。

そんな流れで、次々と肝試しがスムーズに行われていくのを眺めるだけ。最後という順番は、一番暇だ。

「ねぇ、肝試しだけじゃ面白くないから、噂確かめに行かない?」

「薬のありか知っているの?」

「えぇ、先ほど調べていたか大体予測はしといたわ。後は、薬を探すだけ」

「何で、その時に薬探さなかったんだ?」

「決まっているでしょう? 貴方と一緒に探しに行きたかったのよ」

 蔦森さんは、悪戯っぽく囁いた。

「それって、どういう意味? もしや、僕を実験台にする気じゃ」

「いやぁね、私が飲むのよ。で、貴方には第三者として効果を見届けてほしいの」

「幽霊になったかどうか?」

「そう」

「成る程ね」

 やっと、僕らの順番が回ってきた。

僕と蔦森さんは目的地へ向けて出発した。

 予め全員に配られた地図を見なくても、蔦森さんは自分の庭みたいに歩いて行く。

 木が被い茂るハイキングコースは、昼間でも薄暗いというのに、夜は余計真っ暗で闇が生き物のように蠢いている。

懐中電灯の光は闇一色の中では細々と揺れているだけだ。

「この看板を右に曲がると、獣道があるのよ。その獣道の先に突如現れるのが研究所なの」

 頼り無い光で、獣道を歩くのは暗すぎる。石か木の根の何かの障害があるかもしれず、

その危険を避けるために無言で歩き続ける。すると、暗闇の中から、ぼんやりと白い大きな物が現れた。

 近づくにつれ、ぼんやりとしたものが、しっかりと輪郭を描いて目的地の研究所であると認識させた。

「ここか……、夜見ると雰囲気が重々しいね」

「そうね、何か出てもおかしくはないわね」

 建物の入り口を探すと。重圧そうな金属の鉄扉が入り口だった。



   ギィギィギィギィギィギィ



 開けると、扉が錆びているために、耳にダメージを与えるような音が煩く響き渡る。

  「お邪魔します」

「律儀ね、誰もいないわよ」

「癖なんだよね、他人の建物に入る時は廃墟でも言ってしまうんだよ」

 ―――っけ

「何か言った?」

「いいえ、何も。どうしたの? もしかして、怖くて空耳でも聞いた?」

「何だろう? 出ていけ、ていう声を聞いたような気がする」

「私を怖がらせたいのかしら?」

 彼女は僕が冗談を言っていると思っているらしい。だが、確かに聞こえたのだ!

「あら、あれを取ってゴールすればいいんじゃない?」

 入って真正面に椅子があり、椅子の上に御札が置いてある。

肝試しのルールでは、その御札を取りに行き、戻れば終わりである。簡単なことではある。

「薬はどこにあるんだい?」

「噂では、この建物の地下室になっているの」

 僕の頭の中で、ふっと疑問が湧いた。そう、簡単に見つかるものだろうか?

 研究をしていたのか、彼女はこの建物にやたらと詳しく、迷い無きその足で僕を案内する。

 年月が経ち、木造の床は半分鎖果てている。それに、足を踏み外さないように、心臓が高鳴りながら細心の注意をして歩く。



   ギシィ……ギシィ……ギシィ



 完璧なる暗闇は、五感に伝わる情報を恐怖へと書き換える。

 僕は怖気づいてはいないが、何が起こっても対処できるよう覚悟はしていた。

「廊下の突き当たりに階段があるでしょう? その階段の真下のスペースに扉があるの。

物置部屋だと思うじゃない?しかし、実際は、地下室への秘密の扉なのよ」

「詳しいんだね」

「人が考えることは、皆似たようなことよ。秘密の扉を作るとしたら、どこがいいか考えたらわかったわ」

 一見特別ではない、古びた木の扉を開けると階段が下へと続いている。

「暗いから、気をつけてね」



   カン、カン、カン



 やたらと響く空間、そして暗闇。

「地獄の底まで続いてそう」

「そうね」



 カン、カン、カン



「到着よ」

 階段は真っ暗闇だったが、到着した場所はそうでもなかった。

薄い暗闇だったが、天窓から降り注ぐ満月の神秘的な光に包まれた場所だ。

学校の理科室のような部屋だった。戸棚には、びっしりとホルマリン付けの標本があり、

得体の知れない何かの一部がホルマリンの中に浮かんでいる。部屋の置くには、解剖台と冷蔵庫のようなものが設置されていた。

「さて、探すわよ」

「一番怪しいのは、冷蔵庫の中じゃないの?」

「まさか、そんな単純な場所にあるかしら?」

 冷蔵庫には、何重にも鎖に巻かれて鍵がかけられている。

「ガードが固すぎるよ。ピン持っている?」

「えぇ、開くかしら?」

 ピンで鍵を開けることを、とある映画で影響され、ある程度の鍵穴なら開けられるようになっている。



 ガチャ



「はい、終わり」

「うそ、貴方悪い人ね!」

 廃墟でも私有地に入り、廃墟の物を得ようとしている時に、悪いも何もあったものではない。

 何重にも巻かれた鎖を解き、後は冷蔵庫を開けるだけになる。

 いざ、開けようとしたときだった。



 ゴォォォォォォ―ピュュュュュ―



「……っな」

 隙間風が部屋全体に吹き抜けたと思うと、低くねったりとした男性の声が微かに聞こえた。 

「誰かが、開けるなって言っていたよ」

「風の音よ」

 そうなのだろうか? しかし、これで二回目だ。

先ほどは、出て行けという声が微かに聞こえ、今は開けるな、という確かに聞こえたのだ。

「それより、開けるわよ」



 ギィギィギィギィギィ――



 冷蔵庫の扉は思ったより重かったらしい。どこか錆付いて、女性の力では開けることができないらしい。

 僕が変わっても、暫く手こずった上でようやく扉は開いた。

 気合と共に開けた冷蔵庫の中身は、目的の物であってほしい。ではないと、この努力報われない。

「これだわ!」

 最高級の宝石を見るような、女性の表情とはこのことか? 今の蔦森さんの表情は、輝きに満ち溢れている。

「これが、薬?」

 中はびっしりとアンプルの瓶が並んでいて、毒毒しい緑色の液体が入っている。

「幽霊になる薬じゃなくて、確実に死亡する薬の間違いじゃない?」

「良薬苦し、というではない? 色的に不味くても、大丈夫よ」

「それは、どうなんだろう? 実は毒物でした、なんてオチ嫌じゃない? 飲む前に中身調べた方がいいよ」

「それも、そうね。万が一毒物で死亡して、幽霊になれなかったら困るわ」

 リュックを下ろし、その中に瓶を詰め込んでいく。僕もその作業を手伝い、リュックにぎっしりと詰め込んでいく。

「このくらいでいいかしら?」

「い、いいんじゃない?」

 十分過ぎる量に、そんなに使うんだろうか?と思った。

「そろそろ戻らないと」

「そうね――っ、きゃ」

 蔦森さんが立ち上がろうとしたとき、何かに躓いたらしく僕にしがみ付いた。

「大丈夫?」

「……。ねぇ、私の右足首何か引っかかってない?」

「え?」

「動かないのよ」

 蔦森さんは、必死に足をバタつかせて、追い払おうとしている。

彼女の足に何があるのか、僕は目をやった―なんと、冷蔵庫下の隙間から生えている手が、彼女の足首を掴んでいるではないか!

「蔦森さん、深呼吸して落ち着いて聞いてね? 君の足首に手が!」

「貴方こそ、落ち着いて」

「いや、本当なんだ。冷蔵庫の下の隙間から、細い手が出ていて―」



ゴォォ私のォォ研究にォォゴォォ手を出すのはォゴォォ誰だ?ォォォ



 僕の声は、隙間風の煩い音によって、かき消された。風と共に、はっきりと聞こえた声。

「研究なんて、生きている人間が使ってこそよ? 貴方はリュック持って」

 彼女は自由な足を、不自由な足首へ蹴った。たぶん、彼女は見えていないだろう。だが、命中はした。



ギィァァァァ――



 蔦森さんの攻撃に、痛そうに叫ぶ不吉な甲高い声が僕の耳に木魂する。

「手は取れたかしら?」

 たぶん、蔦森は見えていない。だが、今の攻撃で手を払いのけたのは事実だ。

「大丈夫? 足」

「大丈夫よ、それより早く出ましょう」

 また、風だ。  



ゴォォォォオォォォォォォ



 離れないように、僕は蔦森さんの手を取って出口へと行く。

前に進むにも一苦労する強風は止むことはなく、やっと上へと続く階段に辿りつくまで時間がかかった。



ガシャンッガシャ



「今度は何?」

 ホルマリンに漬けられている資料の瓶が、一斉に割れた音だ。

 まさか!僕は恐る恐る後ろを振り向いた。

「蔦森さん、走って!」

 ホルマリンに漬けられていた物体が、瓶が割れたことで自由になり、僕らの方にゆったりと近づいてきたのだ。

 僕らは勢いよく階段を登り、怪異な空間から息を切らしながら脱出を目指す。

 上へと続く階段は長く感じられ、ホルマリン漬けのものは段々スピードを上げて追ってくる。

「扉よ! あれ、開かない」

「退いて、体当たりで開けるから!」

 ドアノブを回しても開かず、何度も何度も体当たりをする。

「近づいてくるわ」

「この鞄で追い払うんだ。襲い掛かりそうな奴は、アンプルの一つを投げてぶつけてやって」

「でも、薬が―」

「一瓶残ればいいでしょ?非常事態に、欲張っている場合じゃない」

「…そうね…」



 ドカッドカッドカッ



「開け!」

 十三回目、僕の体重全てをドアに集中してぶつけた。

「うわぁわぁわぁっと」

 十三回目でドアは壊れ、ドア板と一緒に僕は床へと倒れこんでしまった。

 すぐに起き上がり、蔦森さんの方へと振り返る。

「蔦森さん! こっち」

 僕は蔦森さんの手を掴み、引っ張り地上へと導くが彼女は動かない。

「蔦森さん? ひっ」

 蔦森の腰に緑色のウネウネしたものがひっついていて、それが彼女を下へと引っ張っているようだ。

彼女はアンプルを投げ抵抗しているが、投げる物も底をつきかけてきていた。

「これで、最後の一個よ。でも、残念ね。これは、私が飲むわ」

 そう言って、蓋を開けて中身を一気に飲み干した。

「もう、ないわよ」

 彼女は不適に笑う。



ゴォォォォォォゴォォォォォ



 彼女の笑いに合わせたように、地下から強風が吹き上げられる。

立っていられない程。僕は強風に成すがまま体を舞い上げられ、壁に打ち付けられる。

そして、突然襲い掛かる痛み。痛みが壁に後頭部を強打したものだと認知したときは、僕の意識は闇へと持ってかれ――。





 「しかし、本田って臆病だったか? 怖すぎて、気絶していたなんて笑えるよな」   

 白い天上に白い壁に白い床、白いカーテンに白いベッド。白い服を着た女に案内され、僕の部屋へと来たクラスメイト。

そのクラスメイトが、会話の途中で思い出したかのように言った。

「怖いというよりも、何か慌てていたんだ」

「怖すぎてか?」

 軽く笑ってクラスメイトは、あの肝試し以降に付き合うことになった彼女の話しをする。

 肝試しの本当の狙いは、吊り橋効果で彼女を作ること。その効果で、彼女をゲットした彼は幸せ絶好調だ。

「そういえば、僕の相方だった子はどうしている?」

「お前の相方? お前…相方の子見つけられなかっただろう? 頭、大丈夫か?」

「え……?」

 絶句した。

「蔦森さんだよ? お前だって、見とれていた程だろう?」

 彼の肩を掴んで、必死に聞いた。

「お前気絶していたとき、夢でも見ていたんじゃないのか?」

「じゃ、あの肝試しの場所。あの場所は昔、研究所として使われていたのは知っているか?」

 彼女との思い出を確かめるため、事実を確かめた。

「らしいな、しかも胡散臭い薬を発明していたという噂だよな。なんだっけ?」

「……幽霊になる薬……」

「そうそう、それそれ」

 クラスメイトは、それから様々な話題を一人でしゃべるように話したが、僕は何も覚えてなかった。

 ただ、肝試しの時に起こった現象について、ずっと考えていた。

 最後の一瓶になった薬を、彼女が飲み干す光景が頭にこびりついて、

勝ち誇ったかのように不適に笑う彼女の笑い声が耳にこびりついている。

 退院した後、彼女について調べてみた。

 肝試しに参加した人は全員首を捻り、学校の先生にもそんな生徒はいないと返答をされた。

挙句の果てには、頭を強く打ち付けた後遺症だと思われ、哀れな目で見てくるものさえいた始末だった。





 隙間なく制服を着込んだ男性は、目の前に座っている年配の女性の顔色を伺いながら尋ねた。

「これが、息子さんの日記で?」

「はい……」

「拝見しても、よろしいでしょうか?」

「……どうぞ……」

 市販で売っている、どこにでもありそうな日記帳を何枚か捲る。

 どこにでもありそうな日記帳の中身とは正反対に、内容は普段の高校生男子が考えることとかけ離れている。

 彼は死ということに、美的な考えに憑かれていたらしい。

 人間が自ら死ぬことを禁止することへの愚かさ、死の哲学的意見、死への憧れ、そして……。

「……幽霊になる薬……」

 突如現れた日記の内容に、男は眉を顰める。

 最近ネットの噂を知り、市内にある廃墟へ噂の真相を確かめに行く若者が多い。

そして、その若者により、迷惑行為で通報が相次ぐ。市内の警察署の人間の頭痛の種だ。

 次々と捲ると、彼がどうしてこの噂を知ったのかが書かれてある。

それによると、不思議な少女との出会いにより、噂を知ったらしい。肝試しで少女と薬を探しに行き―

『あのような結末になろうとは……。あの薬を飲んだ後、誰も彼女を知らないのか? 

もしかして、幽霊となったからか?生憎だが、僕は霊感がないので、確かめようがない。そうだ、霊能者に確かめてもらおう』

 日記はここで終わっている。

 次の頁からは真っ白で、何も書かれてない。

染み一つない頁を、男はなんとなく何枚も何枚も何枚も捲ってみた。

 数十ページに飛んで、鮮やかな赤が男の目に焼き付ける。

 血で書かれた文字で、書きなぐったように、この日記は締め括られていた。

『助けて!蔦森さんが、迎えに――僕は死にたくない!』



作者の勇気というゲージが上がります。よろしければ、ぽちっとしてくださいね。

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